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名古屋地方裁判所 昭和51年(行ウ)36号 判決

主文

一、参加人らを申立人、原告を被申立人とする愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被告が昭和五一年八月一四日付でなした別紙命令書記載の命令主文第一項中立松清隆に関する部分を取消す。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、参加による分を含めて、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

(一)  参加人らを申立人、原告を被申立人とする愛労委、昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被告が昭和五一年八月一四日付でなした別紙命令書(以下「命令書」という。)記載の命令(以下「本件命令」という。)主文第一、第二項を取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一、本件命令

(一)  被告は、昭和五一年八月一四日付で参加人らの申立にかかる愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、別紙命令書主文記載のとおりの本件命令を発し、この命令は同月一六日原告に送達された。

(二)  本件命令は理由中において、(1)昭和四八年度までの賃金改訂は事実上四月に実施されたと認められないことはないこと、(2)参加人民放労連名古屋放送労働組合(以下「組合」という)組合員に対する昭和四九・五〇年度の賃金改定は五月から実施されているが、この両年度の非組合員及び無所属従業員に対する賃金改定は四月から実施されていること、(3)原告給与規則六条に、昇給は原則として毎年四月に行うと規定されており、昭和四九・五〇年度には組合との間の賃金改定に関する協定がなく、単なる額についての議事録による確認があるに過ぎないこと、並びに組合が同意した額は組合員以外の従業員に対して実施されたものと同一であること、との事実を認定し、以上の点から考えると「組合が自己の力を過信し、情勢判断を誤って五月に交渉を持ち込んだ責任の一端があるとはいえ、この組合員に対してのみ五月から賃金改訂を実施した原告の行為は、従前からの表面的な妥結月実施を理由として組合員を不利益に取扱い、ひいては組合の弱体化を企図したものであり、労組法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である」というのである。

二、本件命令の違法性

本件命令理由中前記一(二)(2)の説示はそのとおりであるが、同一(二)(1)(3)の説示は事実誤認であり、これを前提とする本件命令は、以下述べるとおり違法である。

(一)  議事録確認書による合意

1 本件命令は「会社と組合との間には実施時期に関する合意がなされておらないのに、会社がその決定により何ら合理的な理由なく組合員以外の従業員より一ヶ月遅れた五月から賃金改訂を実施したのは組合員に対する不利益取扱いであり、ひいては組合の弱体化を企図したものである」とするが、次のとおり五月実施には組合との合意という根拠が存するのであって、この点において既に本件命令は失当である。

2 前述の如く、昭和四九・五〇両年度の賃金改定交渉は原告と組合との間の議事録確認書の作成により終結した。この議事録確認書は、原告・組合両当事者の署名捺印ある書面に作成され、労働協約としての効力を有する。而して右議事録確認は、両年度ともその内容を同じくし、「金額その他の内容は組合の了承があったと受けとって、ベアは五月から実施する」旨の合意が明示されており、両年度の賃金改定は五月から実施することを確認のうえ妥結していることは明らかである。

(二)  妥結月実施の労使慣行の成立

仮に右(一)の主張が理由ないとしても、妥結月実施は、労使慣行となっているのである。

原告就業規則五〇条(昭和五〇年度においては改正就業規則五二条)には「社員の給与については別に定める給与規則による」と規定され、給与規則六条には「昇給は原則として毎年四月に行う」と規定されている。

組合結成前においては、原告の決定により原則どおり四月に賃金改定が行われていたところ、昭和三八年六月組合結成後は、労働組合の自主性・団体交渉権尊重の立場から各年度の賃金改定は、原告の一方的決定によらずに、組合と交渉して労働協約を締結し、これに基づき実施している。すなわち組合結成後の昭和三九年度春以来賃金改定はすべて、組合(昭和四四年七月に若竹会が結成された後は、組合及び若竹会)と交渉した結果に従い実施したきたのであるが、賃金改定実施の時期を「合意のできた月の初日」即ち妥結月からとすることは、昭和三九年春斗以来今日まで一貫して実行されてきた。その状況は計一〇回の賃金改定につき、四月実施が昭和四〇年、四三年、四五年乃至四八年の六回、五月実施が昭和四一年、四二年、四四年の三回、六月実施が昭和三九年の一回であり賃金改定の実施時期について妥結月実施は労使間の慣行となっているのである。

原告は、祝金・奨励金を会社の業績向上、目標達成等の理由により支給しているが、その金額は賃金改定の四月遡及分に見合うものではなく、また支給対象は組合所属従業員に限定されず、組合に加入していない一般従業員も管理職も含まれており、更に四月から賃金改定が実施されている年にも支給されているのであって、祝金・奨励金の支給により四月分昇給額を補填し、事実上賃金改定の四月実施がなされているなどということはない。

(三)  妥結月実施の正当性

1 賃金改定は雇用契約の本質的内容たる賃金という労働条件に関し、従来の賃金額を変更することである。このように労働条件の変更である賃金改定は、労働者との個別的合意により行われるのが原則であるが、一般的には労働契約の内容をも規律する法規範である就業規則(給与規則等を含む)の規定に従い、労働契約の内容となっている労働者の包括的合意に基づき、使用者が一方的にこれを実施している。

しかしながら、労働組合の存在する企業にあっては、労働組合の自主性・団体交渉権尊重の立場から、労働組合と組合員の賃金基準につき改定交渉を行い、賃金の基準改定に関する労働協約を締結し、これに従って賃金改定が実施される。この協約中には賃上額基準・配分方法・個々の組合員たる労働者の賃金改定基準とともに、実施期日も含まれるのが普通である。そして、一旦協約が締結された後は、原則として新たなる賃金改定に関する協約が締結されるまで前の協約どおりの賃金が支払われることとなる。

2 労働協約は、労使間の自主的判断に基づく意思の合致による合意によって成立するものである。従って、その効力発生時期は、特段の定めがない限り、労使の意思表示が合致し、協約が成立した時点であることは論をまたないから、賃金改定の協約も特段の定めのない限り、協約成立の日より賃金改定の効力が生ずるわけである。右協約中に含まれる実施期日の定めは、この効力発生時期に関する特約である。即ち、「妥結月実施」の定めは、協約による賃金改定基準による個々の労働者の賃金改定の実施日を協約が成立した日が属する月の初日に遡及させる特約である。

3 労働協約締結のための交渉は、労使が対等の立場に立って自主的に且つ自由な意思に基づきこれを行うものであって、この中で使用者が協約の効力発生時期に関して「妥結月実施」を提案することは何ら不当なものではない。賃金改定を妥結月の如何にかかわらず、四月から実施している企業の多いことは事実であるが、これが社会的慣行となっているわけではない。

むしろ、妥結月のいかんにかかわらず、四月に遡及して実施する、ということになれば、妥結月がいくら遅れても組合は不利にならないため、組合は使用者たる原告の誠意ある回答を顧みることなく、不当な高額要求を掲げていつまでも斗争を続けたり、他の問題(例えば多項目に亘る権利要求)を掲げてこれとの駆引に賃金改定交渉を利用したりして、徒らに斗争を長引かせることとなり、却って組合の団交権・争議権の濫用を是認することとなり、正常な労使関係維持にむしろ悪弊をなすこととなるとともに、労使双方にとって時間と労力の無駄となり、その損失も大きい。殊にスケジュール斗争が労働組合の一般的運動傾向となっている現在においては、この不当性は一層顕著となる。

更に、組合があくまでもその要求を通すために会社の誠意ある提案に反対して、賃金改定の実施時期の遅れを覚悟して斗ったために四月中に妥結せず、最終的には自らの判断の誤り、交渉力の不足等のために会社の提案をのまざるを得なかったという場合に、今度はこの実施を四月に遡及しろというのは虫の良過ぎる主張という外なく、これを容易に認めることは、健全な労使関係形成のうえでかえってマイナスになる。同一企業内に二つ以上の交渉団体が存し、各交渉団体がその自主的な判断により妥結の可否についての判断をなし、その判断が異ったために協約の締結日が異った場合には、先に妥結した交渉団体との関係でも右主張の不合理性は一層顕著である。

4 妥結月実施の制度は、以上の如き悪弊を防止するため、できる限り早期に且つ妥当な基準での賃金改定の実施を促進するもので、合理的なものである。

(四)  組合の賃金改定が遅れた理由等

1 原告は、前記妥結月実施の慣行の中で、昭和四九、五〇両年度に亘り四月中に妥結可能な誠意を示すなど、早期妥結に努力しこそすれ、これを阻害した事実は全く存しない。

原告が、組合及び若竹会のいずれにも属さない従業員に対する賃金改定の基準を、四月三〇日に若竹会員のそれと同一内容で決定したことも、原告がその時点でそれ以上の基準は出し得ないと考えていたこと、従業員の大多数が若竹会に所属しており、これらの者の賃金改定基準が決定したにも拘らず、無所属の従業員の基準決定を遅らせることは不相当と判断したためであって何ら不当なものではない。

2 昭和四九年度において、組合が賃金改定交渉を四月中に終結せず五月に持ち込んだことについては何ら正当な理由はない。すなわち、組合結成以来今日まで原告は春季賃上げ団体交渉において、原告の最終回答を必ず四月中に提示することを基本方針としており、昭和四九年春季賃上げ交渉においても、組合は原告が五月一日以降回答内容について更に積み上げを行う見込のないことを熟知していた。

原告は四月一七日に最終回答を提示し、組合とは四月二六日に団体交渉を行ったが合意に至らず、同月三〇日更に団体交渉を行ったが、組合はこの団交に先立つ同日昼、組合大会を開いてさらに交渉を五月段階に持ち込むことを決めていた。しかし五月に入っても組合は特別の手段方法を講じた事実がなく、団体交渉も五月一七日に形式的に一回行っただけで五月二七日、二八日両日の団体交渉では四月遡及の問題が議論されただけであった。

昭和五〇年度についてもこの間の事情はほぼ昭和四九年度と同様であり、昭和五〇年四月二四日原告は組合に最終回答を提示し、翌二五日が四月中最後の団体交渉となり、次いで五月一六日に形式的な団体交渉を行っただけで五月二六日の団体交渉で議事録確認書を作成して終っているのである。

3 而して、昭和四九年度五〇年度の原告最終回答の金額、回答時期、同業他社との回答内容の比較、春斗の妥結状況、原告内部の事情等全ての事情を総合して勘案しても、この両年度の四月末の時点で組合が原告の回答を受諾できない特別の事情はなく、組合が回答受諾を五月時点に引き延ばした理由は、単に妥結月払いの原告回答撤回要求を具体的な意味のあるものとするだけのためであり、このような事案に対し労働委員会が救済命令を発する利益ないし必要性は全くなかったのである。

(五)  以上のとおり、妥結月実施は一般的にもその正当性が肯認されるばかりでなく、妥結月実施の労使慣行の成立、昭和四九年・五〇年度の各賃金改定交渉の経緯に鑑みるとき、何らの不当労働行為性も存在しないことは明白である。

組合は、被告委員会の認定しているとおり、自己の力を過信し、情勢判断を誤って交渉を五月に持ち込んで妥結するに至ったもので、この自主的な団体交渉の結果として発生した事態については、組合は、自己責任の原則に基づき、当然自ら甘受すべきものである。

(六)  また本件命令は、申立人組合員中に立松清隆をも包含させているが不当である。即ち、原告は、同人に対し、名古屋地方裁判所昭和四一年(ヨ)第六三二号地位保全仮処分命令等に基づき一定の金員を支払ってきているが、同人に対する金員の支払は仮処分命令手続によるべきものであって、本件命令に同人に対する給付を包含させることは明らかに誤りである。

三、よって、原告は、被告が参加人ら申立にかかる原告を被申立人とする愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件について、昭和五一年八月一四日付でなした本件命令主文第一項第二項の取消しを求めるため本訴に及んだ。

第三被告の答弁

一、請求原因一(一)の事実は認める(但し命令書が原告に送達されたのは八月一四日である)。

同一(二)の事実は認める。なお本件命令書では「組合員は、組合員以外の者と同一職場で同一業務に従事している」ことも併せ考えて判断している。

二、同二(一)の事実中、議事録確認と題する書面には、原告の発言として「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があったから、それを事実上の合意・妥結があったと受けとって、ベアは五月から実施する」と記載されていることは認め、その余は争う。

同二(二)の事実中、原告が組合に対して昭和三九年度以降妥結月実施を提案してきていること、昭和四九年度及び昭和五〇年度についても賃金改定に関する第一次回答で妥結月実施を明示していることは認め、その余は争う。

同二(三)(四)は争う。

同二(五)の事実中、本件命令書中に組合が自己の力を過信し情勢判断を誤って本件両年度の賃金改定交渉を五月に持ち込んだ」との説示のあることは認め、その余は争う。

同二(六)は争う。原告は、被告の本件命令審査中立松清隆に関する主張は全くしていなかった。

第四参加人らの答弁

一、議事録確認について

議事録確認では、金額等の内容面についての合意はできているが、原告の妥結月実施・組合の四月実施という従前からの主張については「実施時期は別として」と記載されているとおり合意がなかったことは明白である。

二、妥結月実施の慣行について

右慣行はなく、五月以降に妥結した場合でも、むしろ実質的には四月遡及と同じ扱いが講ぜられてきた。

即ち春斗の妥結が実際的にも五月以降になった昭和三九年・四一年・四二年・四四年においては、その都度四月遡及したならば支払われるであろう金額に見合う額が、春斗妥結直前ないし直後に祝金名目で支払われており、妥結月実施の慣行は存在せず、いわば妥結月実施と四月実施の対立は実質的に祝金により解決されてきた。ところが、組合の分裂後五月以降に妥結した本件昭和四九年、五〇年度春斗において実質的四月遡及がなされなくなった。これは組合に対する不当労働行為意思によるものというべきである。

三、妥結月実施の違法性

原告は昭和三九年組合結成以来春斗において妥結月実施を主張し、これを低額回答の武器としてきた。

ところで、原告の就業規則五〇条、給与規則六条によれば、昇給は原則として毎年四月に行うと定められており、これは労働契約の内容をなす。労使間で実施月につき合意が成立した場合には、前記原則に優先するが、合意が成立しない場合には特別に合理的な例外事由なき限り、四月実施の原則をはずし、妥結月実施を強要することは許されない。

とりわけ、組合のほかに若竹会ならびに無所属従業員が併存し、しかも組合員も同額で妥結しているにも拘らず、若竹会員及び無所属従業員に対してのみ四月実施をなして差別扱いをする合理的理由は全くなく、それが組合と若竹会及び無所属従業員の併存関係の中で組合のみに対する不利益扱い、ひいては組合の弱体化を企図してなされた不当労働行為であるとした本件命令は正当である。

四、立松清隆について

原告の従業員としての地位を保有し、かつ参加人組合員であれば、昭和四九年度五〇年度の賃金改定各四月分の不支給が不当労働行為である以上、右各四月分の支給を受ける権利を有するところ、立松清隆は昭和四一年二月二八日原告により解雇処分に付されたが、昭和四一年七月二〇日名古屋地方裁判所同年(ヨ)第六三二号仮処分事件で仮の地位を認められ、その後右仮処分事件は立松の勝訴が確定したから、同人は、原告の従業員としての地位があるという法律状態が形成されており、右地位が他の法的手続により取消されない限り、同人は原告と雇用関係にあり、かつ同人は参加人組合員でもあるから、立松は参加人組合員に対し加えられた本件不当労働行為の救済対象に他の組合員と同様に含まれる筈である。仮に立松を救済範囲から排除するなら、その範囲で原告の不当労働行為を労働委員会が許容する結果となり、かつ立松については、同人の本案訴訟の最終的確定を待たなければならないとすれば、除斥期間その他により同人の労働委員会において救済を求める権利が否定されるおそれもある。

第五証拠《省略》

理由

一、本件命令

原告の請求原因第一項(一)(二)の事実は当事者間に争いがない(但し本件命令は遅くとも昭和五一年八月一六日までには原告に送達されたことが当事者間に争いない)。

ところで、本件命令は要するに昭和四九・五〇両年度の賃金改定にあたり若竹会及び無所属従業員には四月(妥結月)から実施したのに対し、組合員に対しては五月(妥結月)から実施した原告の四月分不支給の行為は不当労働行為であるというのであり、これに対し、原告は、組合員に対する五月実施は、(一)議事録確認による合意に基づくものであること、(二)そうでないとしても妥結月実施は労使間の慣行であること、(三)慣行とまでは認められないとしても妥結月実施には合理性があり、原告には不当労働行為意思はないから、いずれにしても本件命令は違法として取消されるべきであると主張する。そこで以下順次原告の右主張について判断する。

二、議事録確認について

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

原告は昭和三七年四月一日開局した放送事業免許に基づきテレビ放送を主たる事業とする株式会社であり、本件救済命令申立時の昭和五〇年三月当時の従業員は約二五〇名、そのうち管理職員は四九名であった。組合は昭和三八年六月結成された。

そして、後記若竹会結成直前頃の組合員の数は約一五〇名であったが、本件申立当時の組合員は三八名であった。ほかに原告内には昭和四四年七月原告の従業員で組織された親睦団体である若竹会があり、本件申立当時の会員は約一〇〇名であり、組合及び若竹会のいずれにも加入していない従業員は約六〇名であった。

昭和四九・五〇両年度の賃金改定交渉は、いずれも原告と組合間の議事録確認書の作成により一応終結した。右各議事録確認書は、原告・組合の署名捺印ある書面で、同書面には「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があったと受けとって、ベアは五月から実施する」旨の文言が存するが、右文言の趣旨は、右両年度の賃金改定交渉は、実施期日を除いては合意に達し、実施期日については、原告が妥結月実施を、組合が四月一日遡及を主張して互に譲らず、ただ五月一日以降からの実施分は、結論的に争いがないことになるので、右争いのない範囲内でベアを実施するとの趣旨であり、右のように、実施期日について基本的な合意に達しなかったので議事録確認の形式をとったものであることが認められる。《証拠判断省略》

右事実によると、昭和四九・五〇両年度の賃金改定においては、金額その他内容面についての合意は成立したが、実施時期については、妥結月実施の合意は成立しなかったのであり、このことは議事録確認書の文言上も明らかである。従って妥結月実施は議事録確認書による合意に基づくものであるという原告の主張は採用できない。

三、妥結月実施の慣行

《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

原告における賃金改定については、就業規則五〇条(昭和五〇年度においては五二条)に「社員の給与については別に定める給与規則による」と規定され、これをうけて給与規則六条に「昇給は原則として毎年四月に行う」と規定されているところ、昭和三七・三八両年度は右規則に従い、昇給賃金改定共に、原告の一方的決定により四月に実施されたが、組合が結成された昭和三九年度以降は、昇給・賃金改定共に組合と原告との団体交渉により実施されており、その実施状況は別紙賃金改定実施、祝金等支給一覧表(以下「別紙一覧表」という)記載のとおりである。そして、組合は賃上げの要求を、昭和四四年までは二月中旬頃までに、昭和四五年以降昭和五〇年までは三月初旬頃までになし、これに対し原告は三月末から四月二〇日前後にかけて回答し、その際常に妥結月実施を提案し(昭和三九年春斗において、二次回答がなされた四月二八日が最初の提案で、それ以来一貫して同一の提案を続けている)、これに対し組合は常に右提案に反対し、四月実施を主張していたものの、昭和四八年度までは妥結月実施の線で協定が成立し、そのとおり実施されて来た。即ち昭和四〇年、四三年、四五年は協定書の調印手続は五月であったが、実質上四月中に妥結の合意が成立していたため、実施期日はいずれも四月一日とされ、昭和四四年は協定書の調印手続は六月であったが、実質上五月中に妥結の合意が成立していたため、実施期日は五月一日とされ、その余の年度は妥結月と実施期日が同一月内となっている(四月中妥結四月一日実施は、昭和四〇年、四三年、四五年ないし四八年である)。

以上認定の事実によると、妥結月実施が労使の慣行になっていたと言えなくもない。しかし、元来労使慣行とは、当該企業における労使間において一般に当然のこととして異議をとどめず事実上の規範として確立していると認められるものであることを要すると解すべきところ、前記のとおり組合は、常に妥結月実施提案に反対して来たのであり、昭和四九、五〇両年度においては、妥結月実施の合意は労使間に成立しなかったこと等に照らすと、右妥結月実施の慣行は、労使間の事実上の規範としての効力をもつ労使慣行とまで認めることは困難である。

ところで、参加人らは、四月に賃金改定が実施されなかった年は、「祝金」「奨励金」の支給により四月分昇給額の補填がされ、賃金改定は実質上の四月実施がなされている旨主張する。

しかしながら、祝金奨励金は実質的には賃金の一部であるとしても、先に認定した別紙一覧表記載の各年度の祝金の額、支給理由に加えて、《証拠省略》を併せ考えると、祝金奨励金は原告が業績の向上、目標達成等の理由により従業員に一律に一定金額を支給したものであり、その金額は必ずしも四月遡及分に見合うものでなく、支給対象者には組合所属従業員のみならず組合に加入していない一般従業員、管理職も含まれていること、四月実施の年度である昭和三七年、三八年、四〇年、四三年、四五年ないし四八年にも支給されていることが認められる。

右事実によると、祝金奨励金の支給目的は、妥結月実施に伴う四月の不支給分補填のためになされたものとは認められないから、祝金等支給の事実は賃金改定は実質上四月実施であったと認めるに足りる資料とはなし難(い。)《証拠判断省略》

四、妥結月実施の正当性、合理性の存否

(一)  昇給ないし賃金改定につき妥結月実施の労働協約ないし労使慣行の存しない企業において、五月以降に妥結が持ちこされ、使用者はあくまで妥結月実施を主張し、組合は四月一日遡及実施を主張し、互に譲らないときは、四月一日から妥結月の前日までの昇給ないし賃金改定の支払をめぐる労使の法律関係は、個別的労働契約の内容いかんにより決する外はない。

(二)  これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

原告の賃金体系上基準内賃金は、基本給と役職手当、住宅手当、家族手当等に区分され、基本給は年令給と職能給に区分され、この内年令給は年令に応じ定められ、職能給は一級職ないし五級職及び技能職に区分され、右各職級につき考課による昇給幅が定められている。そして原告においては組合成立以前の昭和三七・三八両年度における原告の一方的決定のときも、組合成立後の昭和三九年以降の労使協定においても、昇給(いわゆる定昇)と賃金改定(いわゆるベア)とは同時に行われており、協定の方式は、各年度共に年令給については、一律に基準額を増額(ベア分)した上各従業員につき一律に一才分を加算し(定昇分)、職能給については、各職級毎に一律増額(ベア分)と査定分(定昇分)を定めている。

昭和四九・五〇両年度における組合の要求、これに対する会社回答も右と同一の方式に基づくものであった。

(三)  以上の事実によれば、原告においては、定昇とベアは一体のものとして同時に実施されて来たことは明らかであるから前記給与規則六条にいう昇給の中には賃金改定(ベア)も包含されていると解釈することが労使の合理的意思に適合するというべきである。

してみると、右給与規則六条は、特別事情なき限り、個別的労働契約の内容をなすものであるから、原告の従業員である組合員も、労働契約上は、四月一日から妥結月の前日までの賃金改定及び定昇分の支払請求権を取得していると解するのが相当である。

(四)  ところで、妥結月実施とは、妥結が五月以降に持ち込まれたときは、右の労働契約上の賃金債権を支払わないということであり、その旨の労使間の合意があれば格別、右の合意がない限り、使用者が独断でこのような措置をとることは私法上認められないこと多言を要しない。

そして、労使の合意なき限り、私法上認められない妥結月実施方式を使用者があくまで固執する場合は、特別事情なき限り、組合の運営に対する支配介入ないし組合員に対する不利益取扱として労組法七条一、三号に該当するというべきである。

蓋し、妥結月実施方式の右のような性質にかんがみると、それは、使用者がいわゆる春斗をできるだけ早期に解決するため、協定遅延の制裁を故なく組合に科したものとのそしりを免れず、合理性が認められず、一方組合としては、この制裁を免れるためには、不本意であっても、早期に妥結せざるを得ず、早期妥結を強要される結果となるから、組合の団交権に対する不当な抑圧的機能を営む面のあることは否定できず、これは、ひいて、組合からの脱落を促進する弊害を生む因子ともなりかねず、個々の組合員に対しては、正当な理由なき不利益取り扱いとなるから、労組法七条一、三号の不当労働行為と評価されても致し方あるまい。そして、この理は、二組合併存のときであると一組合のみのときであるとを問わず妥当すると考える。

五、そこで、本件につき特別事情の存否について以下判断する。

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和四九年度賃金改定交渉の経緯

1  組合は昭和四九年三月四日付の要求書をもって、昭和四九年度の賃金改定に関し、一律五万円のべースアップ、諸手当の増額等本社勤務、妻・子一人の労働者で約六万八〇〇〇円増額の要求をなし、三月一五日までに回答するよう求めた。

2  三月一八日団体交渉が行われたが、原告は会社の業績の見通しが難しく、経済の動向が流動的であるから、回答は三月下旬か四月下旬になるであろうこと、要求が非常に高額かつ多岐にわたっているので、組合が満足するような回答を出すことは困難と思われることなど説明した。

3  原告は四月一日組合に対し、ベア二万〇六〇七円諸手当四二九八円合計二万四九〇五円及び従前どおり妥結月実施とするとの第一次回答をなした。原告の右回答は、民放各社の第一次回答の平均二万二九二九円を若干上廻っていた。これに対し組合は、平均三万円を下廻る回答は物価上昇に見合わず不当であるとして、更に一万円以上の積み上げ要求を行うこととし、五日にその旨の要求書を原告へ提出した。

4  原告と組合は第一次回答の後何度か折衝を重ねていたが、原告は四月八日に鉄鋼大手五社に二万五五〇〇円、造船重機八社に二万七五〇〇円の回答があり、四月一三日に私鉄が中労委斡旋で二万八五〇〇円で妥結、同日公共企業体が二万七六九一円の公労委仲裁裁定で妥結したことから、賃上交渉の早期解決のためには積み上げ修正を行う必要があると判断し、四月一七日賃上げ額を二万二六〇九円、諸手当七八四〇円合計三万〇四四九円及び妥結月実施とする旨の第二次回答をした。これは同年の民放各社の最終的な妥結額平均三万〇〇六〇円を若干上廻るものであった。

5  しかし、組合は春斗相場は三〇%をこえていると新聞報道されていることなどを理由に、第二次回答を不満とし、四月二二日文書をもって、物価上昇は二五%をこえており、手当こみで二五%に満たない第二次回答は不当であるから、最低一律五〇〇〇円の再積上げを要求した。

四月二六日団交が開かれたが、原告は右要求を拒否した。

四月三〇日、組合は臨時大会を開催し、五〇〇〇円の再積上げ、健康保険料、厚生年金保険料の全額会社負担、嘱託従業員の住宅手当支給、インフレ昂進物価高の生活圧迫深刻化など事情変更による賃金再交渉に関する協定、妥結月実施撤廃の要求を確認し、大会終了後原告と団交を行ったが、団交は不調に終った。

翌五月一日組合は右の新要求を文書にして提出した。

6  五月一七日団交が行われたが、原告は第二次回答以上に積上げる考えはなく、妥結月実施の撤廃要求には応ぜられない妥結遅延により会社は損失を蒙るから、その責任を組合がとる意味からしても、妥結月実施は当然であるとして、双方の主張は平行線をたどり、何らの進展もみられなかった。組合は五月二三・二四日の両日臨時大会を開催して討議した結果、原告の第二次回答を受入れざるを得ないが、妥結月実施については引続き交渉することを決定し、その旨原告に通告した。

7  五月二七・二八日の両日も団交を重ねたが、実施時期を、組合は四月一日原告は妥結月実施と主張して互に譲らず、かくて五月二八日組合と原告とは、昭和四九年度の賃金改定につき前記のとおり「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があったから、それを事実上の合意、妥結があったと受けとって、ベアは五月から実施する。」旨議事録で確認し、原告は五月三〇日組合員に対して五月分の増額分を支給した。

8  若竹会は三月一〇日頃要求書をもって賃金改定を要求した。原告は組合に対すると同時期に同一内容の回答をなしたが、若竹会幹事会は四月一七日の第二次回答以来原告と折衝を重ね、同月二六日右回答額で妥結することに決し、同月三〇日協定を締結した。

若竹会が妥結したのは、主としてこれ以上の積上げは期待できず、妥結月実施方式そのものには強い不満はあるが、原告がこの方式を撤回しない以上四月中に妥結した方が良いとの判断に基づくものであった。

9  昭和四九年度賃金改定について民放労連加盟のうち二六組合は五月以降になって妥結したのであるが、四月に遡及して賃金改定が実施されなかったのは日本テレビと原告名古屋放送のみである。しかし日本テレビは解決金名目で一律二万円を支払い、手当増額分については四月から実施している。

(二)  昭和五〇年度賃金改定交渉の経緯

1  組合は、三月五日要求書をもって、昭和五〇年度の賃上げ額平均九万円(七%)等の要求をなし、同月六日団交を行い、組合は要求内容について原告に説明した。

2  三月二八日原告は、基本給諸手当合計平均一万七七二九円(アップ率一三%)、妥結月実施とする旨の第一次回答をしたが、これはこの日までに出た民放各社の回答一〇社の平均一万六五五一円を若干上廻っていたが、組合はこれを拒否し第二次回答を要求した(昭和五〇年度における鉄鋼五社は一万八〇〇〇円、一四・八%で妥結し、民間大手企業の春斗は平均要求額三万七四四七円に対し、妥結額平均一万五二七九円、一三・一%であった)。

四月一八日原告は、基本給を二四〇〇円増額し、二万〇一二九円の第二次回答をしたが、組合はこれを拒否した。

3  四月二四日原告は、第三次回答として基本給と住宅手当の積上げをして二万三一九六円を提示した。これは、民放各社の最終的な平均妥結額二万〇六三〇円を上廻るものであった。組合は、原告の第三次回答は日経連経営者側が提唱していた一五%ガイドラインに沿った内容であり、金額アップ率ともに低く、また妥結月実施を撤回していないなどの点から原告の再考を求めた。

4  四月三〇日組合は原告に対し、妥結月実施に反対を表明し、かつ第三次回答は賃上げ率一五%以下で不当であり、一六%に達するよう再考を求めたが、原告はこれを拒否した。

5  民放各社の春斗は五月に入ってなお続いたが、五月八日現在原告の回答は定昇込み平均の比較で全国順位二四位、二五才二七位(前年二一位)、三〇才二五位(同一八位)、三五才二二位(同一三位)であった。このような状況下で、組合は五月七日の事務折衝及び同月一六日の団交で再積上げ、及び妥結月実施の撤回を要求したが、原告はこれを拒否し、結局組合は、同月二六日実施時期について合意に達することのないまま、金額については第三次回答を受け入れ、ここに双方は前記のとおり「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があったから、それを事実上の合意妥結があったと受けとって、ベアは五月から実施する。なお、五月分の差額は五月二八日に現金で支給する。」旨議事録確認書に作成し、原告は組合員の賃金改定を五月から実施した。

6  若竹会は、三月四日要求書を提出し、原告は組合に対してなしたと同様に、同月二八日総額平均一万五四四六円の第一次回答、四月一八日総額平均二万〇一九七円の第二次回答、四月二四日総額平均二万三一九六円の第三次回答をなした。これに対し若竹会は、低額回答であることに不満であったが、四月二八日に第三次回答額で妥結することを決定し、賃金改定交渉を妥結させた。原告は若竹会所属従業員の賃金改定を四月から実施した。

7  昭和五〇年度賃金改定について民放労連加盟中五月以降に妥結した単組は五二組合あるが、五月から実施したのは新潟放送と原告名古屋放送のみで、ほかはすべて四月遡及実施である。

六、以上に認定した昭和四九・五〇両年度における原告と組合の団交の経緯からすれば、原告としては、民放各社の最終的平均妥結額を若干上廻る額を最終回答として提示しており、早期に一次、二次ないし三次回答をなし、四月中に妥結すべく団交等に誠実に努力したことは明らかである。しかし、前記のとおり、民放各社の組合のうち五月以降に妥結したものは、昭和四九年度で二六組合、昭和五〇年度で五二組合も存するのであり、組合が原告に対し再積上げを要求し、団交を五月に持ち越したことは、他の組合の妥結状況と比較検討しながら要求を進めるのが通常である組合として無理からぬものというべきであり、また組合が故なく団交を拒否したり、過大要求を固執したりして、そのため有形無形の損害を原告に蒙らせたという事情は何ら存しない。

従って、前記判断を覆えし、不当労働行為性を阻却するような特別事情は認められないという外はないから、原告が妥結月実施を固執し、組合員に対し、昭和四九・五〇両年度における四月分の増額賃金を支給しないことは、若竹会に対する四月分の支給とは関係なしに、そのこと自体労組法七条一、三号に該当する不当労働行為と認めざるを得ない。

七、立松清隆について

同人は原告から昭和四一年二月二八日に解雇されたこと、同人の解雇については名古屋地方裁判所から仮に従業員の地位を保全する旨の仮処分命令及び数次に亘り賃金仮払仮処分命令が発せられ、昭和四九年度の賃金については同裁判所昭和四九年(ヨ)第八二〇号仮処分命令によって同年五月から、昭和五〇年度の賃金については、同裁判所昭和五〇年(ヨ)第五八九号仮処分命令によって、同年五月からそれぞれ改定増額賃金の仮払が命ぜられていることが《証拠省略》により認められる。

従って、同人に対する右両年度の改定賃金額の四月分の不支給は、他に特段の事情なき限り他の組合員とは異なり、同人が、被解雇者であり、かつその旨の賃金仮払仮処分命令が発せられていないことを理由とするもので不当労働行為意思に欠けると推認するのが相当であり、右特段の事情については何らの立証も存しないから、同人に対する右不支給が労組法七条一、三号に該当するとは俄かに即断できない。

これに反する参加人らの主張は採用しない。

なお、原告が被告の本件命令審査中立松清隆に関する主張をしていなかったとしても、右事実は、主張、証拠の制限規定の存しない救済命令取消訴訟の制度上右判断に何らの消長を来さないことは当然である。

八、本件命令の適否

労働委員会による不当労働行為の救済命令は、必要な事実上の措置を命ずることにより、労使間の関係を、当該不当労働行為がなかったのとできる限り同じ状態に回復させる目的のために必要な事実上の措置をとることを命ずるものであるが、いかなる場合にどのような内容の救済命令を発するかについては法令に特段の定めはなく、右目的の範囲内において労働委員会の裁量に委ねられているものと解せられる。してみれば、本件において、被告が原告に対し、前示不当労働行為の救済に必要な措置として、参加人組合所属の組合員に生じている不利益を回復するための昭和四九年度及び昭和五〇年度の賃金改定をそれぞれ四月一日に遡及して実施し、実施前支払済額との差額支払(但し立松清隆分を除く)と、原告が参加人組合所属の組合員を、賃金改定の実施時期についての不利益取扱禁止を命じたことは、いずれも相当というべく、ただ立松清隆に対しても前記差額支払を命じたことは失当というべきである。

九、結論

以上のとおり、原告の本訴請求は本件命令中立松清隆に関する部分は正当であるから認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用及び参加費用につき民訴法八九条、九二条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 戸塚正二 裁判官林道春は転任につき署名押印できない。裁判長裁判官 松本武)

〈以下省略〉

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